(場をわきまえずに超長文になりました事を、まずはお詫びします)
先日、長文ブログを上げようとして失敗した話を書いた。
ようやくそのショックも消えた感じなので、少し短めにして書き直す事にした。
元々はゴスペルクラブのブログに載せるつもりだったので、そちらにも後で転載する予定でいる。
…三十代の、ブラックゴスペルを始めた頃の私は、今とはそれなりに賛美の捉え方が違っていた。
まず、お客さんありき。オーディエンスありきだった。…オーディエンスというより、ギャラリーかも知れない。
どう違うのか?
それは、誰のために唄い、見せるのか?そこが大きく違っていた気がする。
やはりあの頃は、集まっている人々だけに意識して、(歌詞は神様に賛美してるのに)神様と繋げる……という考えが足らなかったようだ。
結果…人から見た格好に気を使い、実質をないがしろにしていた気がする。
しかも、とにかくリードボーカルを取りたくてレッスンしていたから、他の人の声を聴くより、自分の声を強く届けたがった。
今の私の前に彼(昔の私)がいたなら、苦言のいくつかもぶつけているところだ。
私を変えたのは、ハーモニーを変えた時の影響の違いに気づいた事。
32か33歳の頃だ。
ハーモニーの重ね方ひとつ違うだけで、1+1=2どころか、3にも4にも5にすらなる事に気づいて、とにかくそれからハーモニーを作る事にハマった。
リードなんかより(し、失礼(焦))
はるかに遣り甲斐を感じるようになり、周りの声をしっかり聞くようになった。
あれから15年。
自分では自分をハーモナイザーとしては、まあ、そこそこの位置には来たなと感じている。
ただし、その弊害もないわけではない。
最近、特に感じるようになった事がある。
対男声にはほぼうまくハモれている方だが、女声に対してハモると、声に中途半端に輪郭があるため、優しい女声に合わせると汚い音素が目立つ。
しかも、ずっと寄り添う声を作ってきたので、リードをやるには、声が丸く、芯や輪郭がしっかりしてない声になってしまっているのだ。
ゴスペルクラブの特色のある女声三人と声を重ねてみて、今、それなりに落ち込んでいる。
優しい母性に満ちたの声の方には、ハーモニーを求められる事が多いが、私の声はそこに音の濁りを生じさせてしまう。
声の清らかさが足らないのだ。
そして一方、たまたま私がリードをとった時に、元気な強い女声と声を重ねる事になった。
ちなみに彼女はハモらない。
私と同じ主旋律をガン!と唄ってきて、……私はなんと声負けしてしまったのである。
………それなりのショックはやはり受けた。
前に向かって。
リードをとるのならば、前方のかなり遠くまでダイレクトに届く声の輪郭を作り上げなくてはいけない。
課題は二つ。
リーダーやB姉妹に沿う優しい声の構築と、
相対位置になるが、N姉妹に負けないくらいに、芯と輪郭のあるうえに前に届く声。
私がこれを作り上げるか…
または、女声陣にもこちら側に歩み寄ってもらうかだ(笑)。
あ。もっと簡単で確実な方法はある。
男声で芯と輪郭のある声の持ち主に主旋律を唄ってもらう事だ。
どうかどうかどうか…
新たにゴスペルクラブに男声二人、女声にも三人ほど…
豊かな声量と芯のある声…そして明るい表情の若手をおくってくださいますように。
その種が、きっと不思議な化学反応を起こしてくれるはずですから。
個人的に6月から忙しくなりそうですので…
今のうちにお祈りしておきます。
え・・あれ?
今、「そのままでいい」とかおっしゃいましたか…?
う〜〜ん。
私、困ってしまいます。
長崎 山里ゴスペルクラブ グラン・ニコラス
0 件のコメント:
コメントを投稿